
痴漢事件で「人違い」は起きるのか|控訴審で探偵が行った現場検証
1審で懲役2年、執行猶予4年の有罪判決。本人は無実を訴え続けていました。控訴審の弁護団から依頼を受けた私たちが着目したのは、「嵌められた」という筋書きではなく、もっと単純な可能性でした。「人違い」です。事件当時と同じ路線、同じ時間帯を繰り返し検証していくと、人物を追い続けることの難しさが見えてきました。東京を拠点に探偵として30年、企業や弁護士からの依頼にも携わってきた私が経験した、ある刑事事件の現場検証記録です。
複数の弁護士から招かれた、一件の控訴審
その依頼は、複数の弁護士からなる弁護団を通じて舞い込んだ。ある痴漢事件の控訴審。1審は有罪、懲役2年・執行猶予4年の判決が下されていた。被告人は、警察の取り調べでは完全に黙秘を貫き、一貫して無罪を主張し続けている。
私が招かれた理由は、以前手がけた、ある事件がきっかけだった。刑事で傷害罪、民事で9,000万円もの損害賠償を請求されていた企業案件で、行動調査によって事実を覆した実績を、弁護団が知っていたのだ。今回も、同じ力を貸してほしい——それが、依頼の趣旨だった。
被告人は、ある企業の役員だった。事件当日は、取引先との会食で飲酒し、帰宅の電車の中で、その出来事は起きたとされている。
1審の弁護団は、「女性に嵌められたのではないか」という一点を軸に弁護を進めていた。だが、それを裏づける証拠は、最後まで出せなかった。結果、有罪。頭を抱えた弁護団は、それまでとは毛色の違う「探偵」という立場を、控訴審に招くことにしたのだった。
弁護士たちとの打ち合わせを、2度、3度と重ねた。だが、彼らの主張は、依然として「嵌められた」論から動かない。私たち探偵は、事件が起きたとされる時間帯、同じ路線の同じ電車に、何度も乗り込み、検証を重ねることにした。
事件の概要
被害を訴える女性の証言は、こうだった。電車のドア付近で、進行方向を向いて立っていたところ、正面から手を伸ばされ、体を触られた、というものだ。
一方、被告人はその電車の、2人掛け座席の窓側に座っていた。鞄から単行本を取り出し、読書をしようと老眼鏡に掛け替え、それまで使っていた眼鏡を窓下の小さな棚に置く。読み始めてほどなく、酒の酔いも手伝ってか、そのまま眠り込んでしまった。
目が覚めたときには、本来降りるはずの駅を、とうに過ぎていた。慌てて、途中の駅で下車する。反対側の上りホームへの階段を降りている最中、改札のある上段から、一人の女性に「もう最終電車はありませんよ」と声をかけられた。「あ、ありがとうございます」。被告人は礼を言い、踵を返して改札のほうへ戻ろうとした。そこで、声をかけてきたその女性に、突然、腕を掴まれる。
「あなた、さっき痴漢したでしょう!」
その場で、駅員に取り囲まれ、駅員室へ連行された。否認すると、警察が到着し、そのまま逮捕、起訴。約6ヶ月間、身柄を拘束された。
「15分間、同じ人物を追い続けられるのか」
検証を重ねるうち、被害を訴えた女性は20代。被告人は50代後半で、スーツ姿のごく一般的な会社員風の男性だった。両者に、際立った特徴があるわけではない。
事件当時と同じ時間帯、同じ路線に何度も乗り込む。季節は、コートが手放せない時期だった。車内の乗客は、一見してほぼ全員がサラリーマン風。紺やグレーのスーツ、同系色のコート姿が目立ち、満員というほどではないが、乗客の数はそれなりに多い。
私たち探偵は、弁護団が主張する「嵌められた」という筋書きではなく、もっと単純な可能性——「人違い」を軸に、検証を進めることにした。
理由は、時系列にあった。被害を訴える女性は、痴漢を受けたとされる時刻から、15分以上、何もされないまま同じ電車に乗り続けていたと証言していた。しかも、その間、被告人は女性の視界に入る位置に立っていたという。探偵としての経験から考えても、混雑した電車内で15分以上にわたり、一度も対象を取り違えず同じ人物を追い続けることは容易ではない。それを、訓練を受けていない一般の方が行うのは、なおのこと難しい。
電車の中には、似たような服装、似たような背格好の人間が、そこかしこにいる。後年、目撃証言について調べると、人間の視覚や記憶による人物識別には限界があることは、心理学の分野でも研究されている。だが当時の私たちは、そんな理屈より先に、現場でそれを体験することになった。3回、合計1時間以上、直接言葉を交わした相手ですら、見間違えそうになる。それなのに、ほんの数分しか見ていない相手を「この人だ」と断定するのは、あまりにも早計だ。私自身、この被告人と、それまでに3回、直接会って話をしていた。それにもかかわらず——検証中の車内で、被告人によく似た男性を見つけ、声をかけようと近づいたところ、間近まで寄ってようやく別人だと気づいた、ということが実際にあった。もう少しで、声をかけてしまうところだったのである。
しかも今回は、階段を上り下りする後ろ姿を追いかけた末の判断である。それだけで「絶対に本人だ」という確信を持てるはずがない。弁護団が主張していた「嵌められた」という可能性はひとまず置くとしても、犯人だと特定するには、無理がありすぎた。
100人の階段と、列の入れ替わり
もう一つ、見過ごせない証言があった。被害者の女性は、改札まで続く、幅20メートル近い大きな階段——およそ30段、100人ほどの人が同時に上っているような階段を、被告人の後ろから追いかけた、と証言していたのだ。
一般的に想像すると、階段を上る人の群れは、決して一直線に整列して進むわけではない。一段目から最上段にたどり着くまでの間に、人々は3〜4列ほどの塊をつくり、絶えずその並びを入れ替えながら進んでいく。これは、この検証を始めて、私たち探偵自身も初めて気づいた事実だった。
探偵の尾行は、通常2〜3人のチームで行う。だからこそ、対象を見失う可能性が低くなる。だが、訓練を受けていない一般の女性一人に、それだけの観察力があるだろうか。探偵の尾行でさえ、階段の一段目に足をかける瞬間には、必ず足元に目を落とす。その一瞬、対象から視線が逸れてしまうのだ。それでも、複数人で尾行していれば、誰かが必ず見ている。見落としは起きない。
だが、後方から一人の素人が追いかけるとなれば、その100人近い人だかりの、無数の背中を頼りに追うしかない。しかも列は、絶えずランダムに入れ替わる。同系色のコートを着た人々の中から、たった一人を見分けるということは、たとえるなら、背番号のついていない野球のユニフォームを着た100人を、背後から見分けろと言われるようなものだ。
仮に、入社したばかりの探偵研修生を一人で追わせたとしても、対象を見失う可能性は十分にあるだろう。おそらく、被害を訴えた女性本人も、心のどこかで、その不安を感じていたのではないだろうか。だからこそ、階段を上りきった改札前ではなく、最終電車がなくなり、慌てて上りホームへと急ぎ歩いていく被告人の「振り返った姿」——身長と眼鏡という、ごく大まかな特徴だけを頼りに、「この人だ」と決めてしまったのではないか。私たちは、そう考えるに至った。
控訴審、結審
最終弁論の日。弁護団は、それでもなお「嵌められた」という説を軸に、弁論を繰り返していた。私には、裁判官の一人が目を閉じ、眠っているように見えた。その光景は、今でも強く記憶に残っている。
結果として、弁護団の主張は、裁判所には認められなかった。私が提出した陳述書は、裁判所で証拠として採用された。それでも、判決は「控訴棄却、1審判決を支持する」というものだった。即日、上告した。だが、6ヶ月後、上告棄却の書類が届いた。
結果としては、無罪を勝ち取ることはできなかった。だが、当初は探偵の関与に難色を示していた弁護団が、最終的にはその功績を認めてくれたことは、言うまでもない事実である。
この事件が教えてくれること
この事件を通じて、私が強く感じたことがあります。痴漢の冤罪は、決して珍しい出来事ではなく、条件さえ揃えば、誰の身にも起こりうる、ということです。人違いは、悪意がなくとも起こります。人間の記憶や視覚は、私たちが思っているほど正確ではありません。15分間、同じ人物を見続けることの難しさも、100人が入り乱れる階段で一人を追い続けることの難しさも、実際に自分の足で検証してみるまで、私たち探偵自身、気づいていませんでした。
結果として、この裁判は覆りませんでした。それでも、当時者の主張だけでなく、現場を実際に検証し、事実に基づいた陳述書を裁判所に提出できたことには、意味があったと思っています。裁判官の一人が居眠りをしていたという光景を目にして、なおのこと、そう感じました。人の運命を左右する場に、地に足のついた事実を届けることの重みを、私は今も忘れていません。
身に覚えのない疑いをかけられ、どう立証していいか分からず困っている。そんな状況にある方、あるいはそのご家族やご依頼を検討されている弁護士の方は、一人で、あるいは言葉だけで抱え込まず、まずはご相談ください。現場での行動調査や検証が、事実を明らかにする力になることがあります。東京・足立区を拠点とする弊社では、個人・法人・弁護士からのご依頼を問わず、初回のご相談を無料で承っています。まずは無料相談フォームから、お気軽にご連絡ください。
よくある質問(FAQ)
Q. 痴漢の冤罪を疑っていますが、探偵に依頼できますか?
A. はい、ご相談いただけます。事件当時の状況を現地で検証し、証言の矛盾点や、人違いの可能性を客観的に確認する調査を行うことができます。弁護士と連携しながら進めることも可能です。
Q. 「人違い」の可能性は、どのように検証するのですか?
A. 事件当時と同じ時間・同じ場所での状況を実際に再現し、視認の難しさや、証言と現場の矛盾を確認します。今回のように、同じ路線に繰り返し乗って検証することもあります。ケースによって、有効な手法は異なります。
Q. 弁護士から探偵に調査を依頼することはありますか?
A. はい、あります。事件や紛争の内容によって、現場確認や行動調査、資料収集などについて弁護士から依頼を受けることがあります。弊所でも、弁護士・弁護団から調査依頼を受けた実績があります。
Q. 刑事事件の証拠調査にも対応していますか?
A. はい、対応しています。痴漢事件に限らず、傷害事件や各種の刑事事件について、状況の検証や証拠収集のご依頼を承っています。まずはご事情をお聞かせください。
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※本記事は実際の調査経験をもとに構成していますが、関係者のプライバシー保護のため、職業・状況設定・人数など個人を特定しうる情報は変更しています。



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